~いつか、どこかで、誰かに~戯曲『Silent Sky』(2024/11/4@ABCホール)【観劇レポ/感想】

舞台レポ

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こんにちは、しろこです。

何かの観劇に行くと、他の公演のチラシが何枚も袋に入って、座席に置かれていることがありますよね。
演劇のチケットは高いので、私が観に行くのは、基本的には「前々から観たいと思っていた作品で、かつ、好きな役者が出演する作品」です。
なので、貰ったチラシも「ふ~ん、こういう公演があるんだ~」と軽く眺める程度(でもちゃんと隅々まで全部読みます:笑)。

パラパラめくっていると、その中でふと手が止まるチラシがあるんです。

直近だと、2023年の『生きる』と2022年の『クレオパトラ』

そして今回観劇した『Silent Sky』

『生きる』と『クレオパトラ』は、チラシの写真やキャッチコピーに惹かれたのですが、『Silent Sky』はチラシのどこに惹かれたのか自分でもよく分かりません。
もともと天文学は好きですが、それだけではチケットは買わなかった気がする…。

惹かれた理由は観劇後に分かりました。

主人公のヘンリエッタに呼ばれたんだ、と。

本記事には芝居のネタバレを含みます。

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あらすじ


ヘンリエッタ・レヴィットは家族の支えもあり大学卒業後、ケンブリッジにあるハーバード大学天文台で働き始める。しかし、そこでの女性は望遠鏡に触ることもできず、ピッカリング天文台長の指示で星の色や明るさ、スペクトルなど、膨大なデータの処理や集計、分類などの作業を行っていた。ピッカリングのもとには“コンピュータ”と呼ばれる分析や記録作業をする女性の計算手が集められており、ヘンリエッタもその一人だった。
ピーターや同僚たちと交流を深める中、休憩時間も無給で独自の研究を続けるヘンリエッタは、自分の道を模索しながら、大きな研究成果を残していく。

『Silent Sky』オフィシャルサイトより

主な配役

ヘンリエッタ・レヴィット:朝海ひかる
女性のためのハーバード大学と呼ばれたラドクリフ・カレッジを卒業。星の研究に情熱を燃やす。

マーガレット・レヴィット:高橋由美子
ヘンリエッタの妹。家庭的な女性。

ピーター・ショー:松島庄汰
ハーバード大学天文台のピッカリング台長の部下。

アニー・キャノン:保坂知寿
ヘンリエッタの同僚。恒星の分類で成果を残している。女性の参政権運動家でもある。

ウィリアミーナ・フレミング:竹下景子
ヘンリエッタの同僚。天文台長の元家政婦から天文学者となる。

上演時間

【1幕】13:00~14:10

【休憩 15分】

【2幕】14:25~15:20(カーテンコール含む)

全体を通しての感想

小劇場での5人芝居なので、セットも音楽もシンプル(でも奥行きを感じる)。客席(通路)も舞台の一部として使用されました。
あらすじとキャストを見て、重厚なストレートプレイかと思って(音楽もないと思ってました)少し構えて観ていたら、笑いありほっこりするシーンもありの緩急のついた巧みな演出。

ですが、そこはやはり戯曲。

・・・すごい台詞量(@_@;)

特にヘンリエッタ役の朝海さんは出ずっぱりで、最初と最後には長い一人語りもあります。
現役時代は存じませんが、元宝塚歌劇団のトップスターということもあってか、立ち姿がとにかく美しく、軽いダンスシーンの手の動きの繊細なこと!(ご本人は無意識かも)

ピーター役の松島庄汰さんはこの作品で初めて知りました。
ヘンリエッタに気持ちを告げる場面は、舞い上がったピーターの独壇場。まくし立てるような台詞と一人ドタバタする動きは、愛嬌たっぷり。「ちょっと落ち着きなさい!」と言いたくなります(笑)
私は通路側の席だったので、通路で芝居をする時はほぼ真横で台詞が聞けました。演説している場面だったということを差し引いても、空気が震えるくらいの声量でした(※小劇場での芝居ではマイクは使いません)。

ヘンリエッタの妹マーガレット役は高橋由美子さん。
めちゃくちゃ美人でかわいらしいのに、『ショムニ』(懐かしい…)で常に半眼で毒づいてるOL(死語)を演じていた印象が強い(どんな印象だ…)。
今もかわいらしさは健在で、家庭的な女性の強さと脆さの両方を感情豊かに演じられていました。少しですが、舞台上でピアノを弾きながら歌う場面があります(本作中で唯一歌がある役)。私も年1回人前で演奏する機会があるのですが、ただ演奏するのではなく、役として演奏するのはまた違った緊張があると思います(><)

アニー役は、この方を知らずに芝居ファンとは言わせないぞ!と個人的には思っている保坂知寿さん。
8月に『ライムライト』でも拝見しました。これまで拝見した中で最も印象に残っているのは、2018年の『レベッカ』で演じられたダンヴァース夫人です。
歌なし、ダンスなしの作品で拝見するのは今回が初めて。厳しい中にも愛があり、ヘンリエッタやウィリアミーナの有能さに嫉妬することもなく(アニー自身もとてつもなく有能)、常に正しくある高潔な人物を、地に足のついた演技で魅せてくれます。1幕で感情を表すことがあまりない分、2幕でヘンリエッタに関することで喜ぶ場面がグッときます。実生活でも、普段人のことをあまり褒めない人に褒められると、絶対に本物の賛辞だと思いますよね(;_;)

高橋由美子さん同様、テレビの印象が強い竹下景子さん。ヘンリエッタのもう一人の同僚ウィリアミーナを演じています。
厳しさを前面に出すアニーとは対象的に、ウィリアミーナは慈愛の人。そこにいるだけで場の空気が柔らかくなるような人です。
「うちの家政婦の方がよっぽどマシな仕事をする」とピッカリング台長に抜擢され、後に天文学者になった…という設定ではありません。実在の人物です(ピーター以外は実在の人物)。日本初演なので、ウィリアミーナを初めて日本で演じたのが竹下さんになるわけですが、竹下さん以外のウィリアミーナがちょっと想像できないぐらいの適役でした。

女性の社会的地位が今よりずっと低く、女性の参政権すらなかった時代…と言うと大昔のことに思えますが、たった100年前です。そう思えば、今でも男女間の格差や差別がなくなっていないのは当たり前でしょう。昨今では残念ながら「それは『差別』ではなく、ただの『区別』では?」と思う見当違いな主張も散見されます。

さすがに、女性であるというだけで望遠鏡にも触らせてもらえないというのは、差別以外の何ものでもないと思いますが(女性の能力を低く見てのことだとしたら、何よりも正確さが大切な計算手を女性にやらせることに大きく矛盾する)、相撲の土俵や一部の自然などに残る『女人禁制』は、差別ではないのでは…? まあ、その背景にあるものが宗教なら、宗教だって人間が作ったものなんだから、結局差別じゃーん!という意見も出るんでしょうが…。

話が急に小さくなりますが、私は『レディースデー』や『レディースセット』など『レディース◯◯』と名のつくものは、差別ではなく、区別ですらもなく、売上を上げるために女性客を取り込む『ただの企業戦略』だと思います。

正確な仕事を求められるが賃金は低いというのは、現代では女性に限ったことではありません。
「正確な仕事」は「なくてはならない仕事」に置き換えて解釈することもできます。

自分に与えられた仕事はデータ処理だけだということに失望するものの、恒星の分類で成果を残しているアニーに感化され、辛抱強く正確に、決して手を抜かず与えられた仕事を進めていくヘンリエッタ。

その仕事ぶりが認められ、アニーから、勤務時間後であれば自分の研究を行ってもよいとの許可をもらいます。望遠鏡を使って自分の研究ができると信じて天文台にやってきたヘンリエッタにとって、望遠鏡は触れずとも自分の研究ができるのは嬉しいことでした。

しかし、連日夜通しデータを収集し分析しても、何の規則性も見つけることができません。
やがて、自分の研究には意味がない、何のために自分はデータ収集をしているのだろうと思い始めます。

ある日、忘れ物を取りに戻ってきたアニー(実際はヘンリエッタのことが気になって、様子を見に来た可能性も?)は、部屋で一人泣いているヘンリエッタを目撃します。

「毎晩泣いているだなんて思わないでくださいね」というヘンリエッタの台詞からも分かるように、彼女は泣きたくて泣いていたのではなく、涙が勝手に出てきたんだろう思います。悔しさだったり、無力さだったり、先の見えない不安だったり、それでも自分のしていることを信じたいという思いだったり、故郷に残してきた家族のことを想ったり、ありとあらゆることが急に波のように押し寄せてきたのでしょう。

自分の研究のためとはいえ、無給で休みなく働いていたことで心身ともに疲れ切っていたはず。でも、宇宙への純粋な憧れと情熱はとどまるところを知らない。

ヘンリエッタがこれまで集めたデータを見たアニーは、その研究の価値を即座に見抜き「あなたは真ん中にいる。続けなさい」と告げます。

アニーの言葉がなければ、ヘンリエッタが研究を続けることはなかったかもしれない。
もしくは、アニーに励まされても、ヘンリエッタに宇宙に対する強い想いがなければ、道半ばで諦めていたかもしれない。

ヘンリエッタは生前、その功績が評価されることはほとんどなかったようです(作中では、死を目前にして評価されつつあった)。なのに、自分の研究成果を使って男性の研究者たちが論文を何本も発表していたことに、どれほどの辛酸を嘗めたかは想像に難くありません。

しかし、彼女の功績がなければ、現在の天文学はなかったと言われています。

いつか、点と点とが線で繋がる。繋いでくれる人々がいる。気づいてくれる人々がいる。分かってくれる人々がいる。

でもそのためには、本人に備わっている資質や能力の他に、人や物事に誠実に向き合い、悩むことや後退することがあっても「それをやりたい」と思った純粋な気持ちを忘れず、信念を持ち歩み続けることが必要なのだと思います。

もちろん、どう頑張ってもあがいても、自分ではどうにもならない事情により諦めざるを得ないこともあるでしょう。

努力が報われるとは限らない。だが、努力しなければ本当の意味では報われない。

認められたいと思うのは、きっと人間の性。

「これでいい」と甘んじるのも、「まだまだこんなものじゃない」と奮起するのも、決めるのは自分次第です。高みを目指す人の根底にあるのは、「好きだから」「面白いから」「知りたいから」という極めて単純な気持ちなのではないかと思います。

私も、金にならない、心身ともに疲弊する、でも面白い仕事に出会ってしまったので(「それを『やりがい搾取』と言うんだ!」と言われたら、反論の余地なしです(;´∀`))、ヘンリエッタの葛藤が痛いほど分かりました。

自分の仕事に手を抜くようなことは絶対にしない。

手を抜いた分は、必ず自分に返ってくると思うから。

その時は必死すぎて分からなくても、その後別の仕事を手掛けた時に、当時の苦労が確実に血肉になっていることに気づいた経験があるから。

作品を通し、ヘンリエッタから「あなたもそのまま進みなさい」と、背中を押してもらった気がしました。

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