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ある平凡な男が死んだ。
真面目なだけの男だった。
だが、彼は残された時間を生き切った。
狂言回し的な立ち位置の小説家が、その男・渡辺勘治が生きた最後の半年に観客を誘います。
こんにちは、しろこです。
恐らく、『ジキルとハイド』を観劇した時に手にした、今作『生きる』の公演チラシ。
ブランコに乗り、達観したような目で遠くを見つめるのは、言わずと知れた市村正親さんと鹿賀丈史さん(Wキャスト)。そこに書かれていた『まだ遅くはない。平凡な男が見つけた最後の夢』『ジャパニーズ・ミュージカルの金字塔』という言葉。
そして・・・上原理生さんも出る(推し)。
上原さんが出るというのも大きかったけれど、なぜだかあのチラシのことが忘れられず、発売日を過ぎてからチケットを取りました(当日、劇場でリピーターチケットを販売していたので、結局売れ行きが芳しくなかったんだろうか…。少なくとも1階は満席でしたが)。
あらすじ
定年を間近にした役所の市民課長、渡辺勘治(市村正親/鹿賀丈史)。
『生きる』オフィシャルサイトより
早くに妻を亡くした彼は息子夫婦(村井良大・実咲凜音)と同居しているが、心の距離は遠い。
そんなある日、渡辺は、自分が胃癌であり残りの命が長くないことを知る。
自暴自棄になった彼は、居酒屋で出会った売れない小説家(平方元基/上原理生)と夜の街に繰り出し、人生を楽しもうと試みるが、心が満たされることはなかった。
翌朝、市民課で働く女性・小田切(高野菜々)とよに偶然出会う。太陽のように明るい彼女に惹かれ、頻繁に誘うようになる渡辺は「残りの人生を、1日でいいから君のように生きたい」と本音を語る。
そして、とよが何気なく伝えた言葉に心を動かされ、渡辺は人生をかけた決意をするのだった。
主な配役
渡辺勘治:鹿賀丈史
役所の市民課長。胃がんで余命半年となる。光男が幼い頃に妻を亡くしている。
渡辺光男:村井良大
勘治の息子。父親と同居している。
小説家:上原理生
ひょんなことから勘治と知り合い、影響を受ける。物語の狂言回し。
小田切とよ:高野菜々
勘治の元部下。生きるエネルギーに溢れた女性。
渡辺一枝:実咲凜音
光男の妻。舅を快く思っていない。
助役:鶴見辰吾
勘治の上司。煮ても焼いても食えない役人。
組長:福井晶一
助役に依頼され、勘治の邪魔をする。
(2023年9月30日 17:30公演)
上演時間
【1幕】17:30~18:30
【休憩 25分】
【2幕】18:55~19:55
全体を通しての感想
シーンの半分以上は、役所が舞台だったり、役人が出てきたりで、イラッ、モヤッとしまくりました。
私自身、官公庁のような組織で働いていたので、前例がないことはしない、できない(やらない)理由ばかり考えている、縦割り、たらい回し、といった仕事の仕方や、自分のことしか考えていないオエライサン方の態度に思い当たるふしがありすぎて…。
いきなり超個人的な感想ですみません(笑)
でもね、ホントあんな感じなんです。もちろんそうじゃない人もいるだろうけど、私は知らない。
というわけで(?)、最初の方は上原さん演じる小説家が出てくるシーンだけ、落ち着いた精神状態で観ることができました(;・∀・)
勘治の部下である、高野菜々さん演じる小田切とよは、物語のキーパーソンとなる女性。つまらない仕事、同じ毎日でも、その中に楽しみを見つけることができる、生きるエネルギーに溢れた女性です。
あらすじで『太陽のような』と形容されていますが、まさにそんな人。途中、自分を執拗に構うようになる勘治に嫌悪感を抱いたり、光男夫婦には誤解され最後まで邪険に扱われたりしますが、常に自分に正直でまっすぐ。1幕の彼女のソロナンバーは、こんな風に生きられるなんて素敵だなと思わせてくれます。
光男と一枝は、ろくでもない夫婦です…というと大いに語弊があるかな(苦笑)一枝は明らかに舅である勘治を疎ましく思っているし、光男は光男で頭でっかちというか、「お前のその態度が問題なんだよ!」と言いたくなる人。物語のキーパーソンはとよだけど、勘治にとってのキーパーソンは、やはり息子である光男なんですけどね。
光男役の村井良大さんがインタビューで、市村さんの勘治は「怒って逃げる、嫌になって逃げる勘治」、鹿賀さんの勘治は「立ち尽くす悲しい勘治」と語っていらっしゃいました。まさに鹿賀さんの勘治はその通りでした。とつとつと喋り、どこか人と関わることを恐れているようでいて、心の底では誰かと関わりたいと思っているような。
同じ人物を演じるにしても、演者によって全く違うアプローチで役作りをするんですね。市村さんは『ミス・サイゴン』で拝見したことがあるので今回は鹿賀さんの回を選びましたが、市村さんの勘治も観てみたかったです。
小説家役の上原さんと組長役の福井晶一さんは、これはもうね、声の圧が他の演者とは一線を画してます。台詞も歌も、発声が違う(PAさん、あのお二方のマイクのボリュームは、他の方より落としてるんですか?笑)。
福井組長は登場シーンはそんなに多くなかったけれど、出てくる度に空気が締まりました。まぁそりゃ、組長だからというのもあるだろうけど(^_^;)
現実に身近でもありそうな作品の中で、上原さん演じる小説家はちょっと異質な存在。舞台と客席を取り持つ狂言回しでもあることから、常に一歩引いて物事を見ており、観客の代弁者でもあります。芝居の世界と現実の世界とを行き来する難しい役どころだと思いますが、すごく自然に2つの世界に存在していらっしゃいました。作品で描かれなかった次の時間軸では、きっと彼が光男のキーパーソンになることでしょう。
日本でつくられたミュージカルということで、どのシーンを切り取っても、心がざわついたり、やるせなくなったり、腹が立ったり、ほっとしたり、常に何かしらの感情が刺激される作品でした。ミュージカルとしての演出も非常に巧みでした。
事情を知らない人たちがする好き勝手な噂。
思い込みの怖さと醜さ。
そして、自分のことしか考えていなかったり、人の手柄を横取りしたり、良心の欠片も感じられない胸くそ悪くなるような連中(でも絶対周りにいる)が大勢登場します。
その中でも、たった一人だとしても、味方になってくれる人はいる(現実世界では、表立って味方になることはないかもしれないけれど)。
意志さえ変われば人は何歳からでも、どんな状況にいても変われる。そしてそんな人に影響を受け、変わっていく人もいる(最初に変わった本人は、それが他人に影響を及ぼしていることには気が付かないんだけど)。
「生きる」と「生き切る」
たった一文字の違いで、受ける印象は随分違う。生き切るとは、主体的に生きるということ。
「勝ち組」「負け組」という言葉はいつ生まれたのでしょうか。
かつて、昭和の町並みのジオラマを背景にした、『貧しくても心が豊かな時代があった』というCMがありました(何のCMだったかは思い出せませんが、ローカル企業のCMだった気がします。ググっても出てこない…)。
物質的には豊かになってもどこか空虚感が漂う現代を的確に表現した、今でも印象に残っているCMです。
生きる意味や自分の存在価値を考えるのは、人間の性かもしれません。誰しも一度は大なり小なり考えたことがあると思います。もし考えたことがない人がいるとしたら、むしろ「ちょっとは考えろよ!」と言いたくなります(-_-;)
私は、自分が死んだ時に、悼んでくれる人や泣いてくれる人が一人でもいれば、その人の人生には価値があると思います。
もしかしたら、自分にはそんな人はいないと思っている人もいるかもしれません。
でも、悼んでくれる人は、自分の知っている人とは限らない。
その死が明らかになった時、それを知った顔も名前も知らない人が、その死を悼むことだってあります。
私が普段利用している路線では、月に何度も飛び込み自殺があります。その度に2~3時間運転見合せとなり、正直困ることも多々あります。運転見合せとなり、一番に思うのは「またか…」ですが(それぐらい多い)、その次に、関係する人全員(本人、家族、運転士、車掌、駅係員、遺体に関わる人々、乗客、利用者、目撃者など)を気の毒だと思います。名前も顔も知らない、飛び込んだ人を気の毒だと思うんです。そしてそう思うのは、きっと私だけではないはずです。
自殺願望の塊のようだった10代を過ごし、20代で鬱病になった(無事寛解)私がこんなことを思うようになるなんて、人生は分からないものです。
だから貴方も大丈夫。
とよが言った何気ない言葉がきっかけとなり、勘治は残りの人生をどう生きるか考え、行動するようになります。
昔読んだ小説だったか漫画だったか、はたまたアニメだったか忘れましたが、『命に使い道があるとしたら、今がその時だ』みたいな台詞がありました。
言葉ってね、凶器にもなるけど、寄り添ってくれたり、背中を押してくれたり、考えるきっかけをくれたりするんですよね。昔どこかで触れた言葉がふと思い出されて、時間を超えて力を与えてくれることもあるし。
なんだかんだ言って、人生は帳尻が合うようにできていると思います。
悪い時は希望を捨てず、良い時は気を引き締める。
プラマイゼロになった時にどちらに転ぶかは、心掛けと意志次第。
どう死ぬかを考えることは、どう生きるかを考えることでもある。
どうせみんな死ぬんだから、その時まで生きていればいい。
ミュージカル『生きる』
死ぬその瞬間まで生きている。
人は決意さえすれば、いついかなる状況からでも変われる。
そう静かに訴えかけてくる作品でした。
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