『ガンジス河でバタフライ』~ただただ、旅に出たい~【書評】

書評

<こんな人におすすめ>
・どちらかというと人と関わるのが苦手な人
・バックパッカーに憧れている人
・旅に出たくてうずうずしている人
・ただの旅行記では物足りない人

タイトルを聞くと、本の表紙を見ると、向こう見ずな女性のドタバタ珍道中と思うかもしれない。

そのきらいはたしかにある。だが、彼女がその時々で感じたこと・考えたことは、驚くほどに世の中を達観している。

参考情報

著:たかのてるこ
出版社:幻冬舎
発行:2002/3/1(文庫)、2000/11/1(単行本) ※私が読んだのは単行本の方です。

目次
<1st TRAVEL アジア編>
ひとり、旅立つまで
旅人デビュー
行きあたりばったり旅のとりこに
<2nd TRAVEL インド編>
インドの洗礼
世にも不思議な人びと
まったりインド
<おわりに>

著者のたかのてるこ氏は、1971年大阪府出身。大学在学中の20歳のとき、人にどう見られるかばかりを気にしてしまう「小心者」の自分を変えたい一心で、ありったけの勇気を振り絞りアジア一人旅を決行。現在の職業は『地球の広報・旅人・エッセイスト』(たかのてるこオフィシャルサイトより)

※本書のデータは、著者が旅をした1991~1992年のものである。

感想(引用含む)

初めての海外一人旅を決行するに至るまでの経緯、決行を決めてからの旅立つまでのドキドキ・バタバタ感、現地での捨て身とも思えるような経験などをテンポの良い文章で綴っている。

同じ日本人として眉をひそめたくなるようなことや、日本人の恥と思えるようなこともしているが(寝坊して予約していた便の搭乗時間に遅刻し、格安航空会社のカウンター前で土下座、とかね。。)、切羽詰まった状況で、自分以外頼れるものがないと思ったときの行動力には眼を見張るものがある。

上っ面だけを見ると、骨の髄まで大阪人のドタバタ珍道中に他ならない。しかし、要所要所で記されている、様々な経験を通して彼女の中に湧き上がる思いや考えには考えさせられる部分が多い。

そのいくつかを以下に紹介する。

この旅に出たことも、こうやってバスに揺られていることも、すべては私が動いたことから始まったんだ。人との出会いだって、動くことから始まる。こっちが出向くこともあれば、向こうからやって来ることもある。でも、心が動かされなければ、それは出会いにはならない。ただのすれ違いだ。ジーッとしていたって何も始まらないし、何も変わりはしない。心を動かす、体を動かす、なんでもいい。とにかくいつも、動いていることが大事なんだ。

いきなり私がタフな人間になったんじゃない。八方塞がりな状況に追い込まれたおかげで、タフな私が引き出されたのだ。新しいことを経験するたびに、今まで知らなかった自分を発見できる。旅では、自分を丸ごと生かせるような気がした。

日本を出る前と帰ってからとでは、旅した国々に対する心のありようが変わってしまっていたのだ。旅をした国々が、自分にとって”人ごとな国”ではなくなったことを私は感じずにはいられなかった。

事故が起きて何人死んだとか、暴動が起きてえらいことになっているとか、ニュースといえば恐ろしいものばかりだ。そういうネガティブな情報でしか世界を知らないから、よその国は怖く感じられるのかもしれないなと思う。

こんなふうに目の前をビュンビュン過ぎていく風景を眺めていると、出会いの尊さを思わずにはいられなくなる。毎日、毎日、目にする人の数は膨大でも、実際に出会える人はごくわずかなのだということを実感させられるからだ。

きっと、今までのいろいろが、知らず知らずのうちに私という人間を形づくってしまったのだ。「過去の私」が「今の私」を作ったということは、今の私の生き方が、おのずと「未来の私」をつくってしまうということではないか。そう考えると、なんだか一日たりとも手を抜くことができないような気がした。誰に憧れたところで、私は他の誰かになんかなれやしない。私は一生、私自身についていくしかないんだ。

みんな私と同じように、笑ったり、ごはんを食べたりする、同じ人間だった。彼らと私の差は、単に生まれた国が違っただけのことだと今では思えるのだ。

私はどちらかというと、人と関わるのが苦手な人間である。

国内・海外問わず、旅先の市場は鬼門。値切り交渉なんてしたくない(できない)から、買い物は値札が出ている店でしたい。普段の生活でも、店の前を通ったときに「おねえさん、よかったら見てって~」と言われたり、スーパーで「ご試食いかがですか~」と試食を差し出されると、どうしたらいいか困る(無視するのも気が引けるから、軽く会釈してさっさと去る。←真面目か)。

人見知りではないが、人と積極的に関わろうとはしない(私からすると、おせっかいな人は尊敬に値する)。

著者が香港の簡易食堂で、地元のおっちゃんが食べていたものと同じものを食べることにしたときのこと。

「美味しい」を表すのに、ジェスチャーを交えながらひたすら「グッド」を連発する著者。

「グッド」でこんなに話ができるとは思わなかった。単純な言葉でも、しぐさや感情の込め方次第で、いろんなことが伝えられるんだ。もしかしたら、ヘタに流暢な英語ができるよりも、身ぶり手ぶりの方がよっぽど”気持ち”が伝わるのかもしれないな。

当然といえば当然なのだが、私のように喜怒哀楽がイマイチ表に出ない人間には、かなりハードルが高いことである。下手に英語ができてしまうと、失礼にならないようにと思い、悲しいかなちゃんと文章で喋ろうとしてしまうのだ。

本の中でも触れられていたが、私の場合は「旅人=小さな親善大使」という思いが強いゆえに、礼節を重んじ過ぎる傾向にあるようだ(だから日本に来る外国人旅行者を見ていても、「楽しんでってね~(^^)」と思える旅行者と「なんなんだよ(-“-#)」と思う旅行者がいる)。

こんな私でさえ、この本を読んで、次に海外に行ったときは現地の人と積極的に言葉を交わしてみようと思った。

また、インドを旅したときの話には一種の恐ろしさを覚えた。日本人にとっては、聞いたことはあるが詳細までは知らない人が多いであろうカースト制度。20年近く前に訪れたときの話とはいえ、今でもカーストに起因した耳を疑いたくなるような事件が起こるのも頷ける。

とはいえ、私はインドに行ったことはないし、インド人と深く関わったこともない。インドに対して持っているイメージは、テレビや本で得た情報に過ぎない。

秘境や辺境などと呼ばれる場所でも、住んでいる人にしてみればごくごく普通にそこで暮らしているだけの話で、変わった場所だと思い込んでいるのは、そこに行ったことのない人の偏見なのに違いなかった。

インドに行きたいかと問われると、「行ってみたい気はするが、他にもっと行ってみたい国がある」と答えるだろう。でも実は、行ってみたい国に対して持っているイメージも、テレビや本で得た情報に過ぎないのではないか。

だとしたら、語弊があるかもしれないが、どこを訪れようとも概して大きな違いはないのかもしれない。良くも悪くも、その国に持つイメージは「偏見」に基づいているのだから。

最後に、『おわりに』で書かれていることは、昨今の状況にも極めてよく当てはまる。

人は、すべては永遠に続くものだと、心のどこかで思っています。昨日に変わらない今日があって、今日に変わらない明日があって、そうやって毎日がずっと続いていくような気がしています。でも本当は、永遠なんてこの世にありません。人も自分自身も、変わり続けています。親や恋人や友だちとの関係だって、時を経て、少しずつ形を変えていくように、すべてはちょっとずつちょっとずつ、その変化に気づかないぐらいの速さで、変わり続けています。毎日は当然のようにやって来るから、ほっといても朝が来てほっといても夜になるから、日常の重みを時に忘れてしまいそうになるけど、本当はいつだってかけがえのない時間が絶え間なく流れていて、そんな中でわたしたちは生きています。胸が痛いほど、切ない時を。噛みしめる間もないほど、生き急ぎながら。

この本を手に取った人には、最後のページまでぜひ読んでいただきたい。友人との突然の別れを経験した著者の「出会い」や「人との関わり」についての言葉には、圧倒的な説得力がある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました