~これがインド映画の世界観!?~宝塚歌劇星組公演『RRR × TAKA”R”AZUKA ~√Bheem~(アールアールアール バイ タカラヅカ ~ルートビーム~)』​『VIOLETOPIA』(2024/2/4@楽天TV)【観劇レポ/感想】

宝塚レポ

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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。しろこです。
2024年になって早1ヵ月以上が経ちました。これが今年の初投稿です(;´∀`)

前回生観劇をしたのは5ヵ月前。

直近で観たのは、11/19の月組東京千秋楽のライブ配信です。

10月、11月とチケットは取れていたのですが、公演が立て続けに中止になりました。
そしてあの件以降、全くチケットが取れなくなりました。皮肉なものです。

観劇していなかったから観劇レポの投稿が数ヵ月なかっただけなのですが、今回のレポは投稿しようかどうしようか、今これを書いている最中も悩んでいます。

私は宝塚歌劇が好きです。
私は元いじめられっ子で、自殺しかけたことがあります。
私は仕事が原因でうつ病になったことがあります。
私は宝塚の公演を観る度に、明日も頑張ろうと思います。

だから、いじめられた経験がない人や、病気になるほどのストレスを抱えたことがない人や、自称ファンや、ファンでも何でもないただ好き勝手言ってる人より、この問題については深刻に受け止めているつもりです。

私は当事者ではありません(もちろん劇団に知り合いもいません)。
私は世の中の全て可能性はゼロではないと思っています(自分は1時間後に死ぬかもしれないとか、明日どこぞの国からのミサイルが着弾するかもしれないとか、そういうレベルで)。

週刊誌やネットで名前が上がっている人たちがいます。ある人は良い内容で名前が上がり、ある人は悪い内容で名前が上がる。

それは誰が言ってるんですか?

全て本当かもしれません。
全て嘘かもしれません。

一部は本当かもしれません。
一部は嘘かもしれません。

それは誰が分かるんですか?

事実はひとつでも、真実は人の数だけある。

私は「健全な猜疑心」というものがあると思います。別に「人を見たら泥棒と思え」と言っているわけではなく、何事も情報を鵜呑みにするのは危険でしかない。嘘か真かも分からず思い込みで発言すれば、自分が誰かの加害者になることも十分にあるのです(ちなみに私はマスコミが大嫌いです(テレビも雑誌も)。仕事で何度か関わって、その度にこいつらクソだなと思うことがあったので。中には信念を持ちつつも冷静に俯瞰的に物事に向き合っている人もいらっしゃると信じたいですが、少なくとも私が関わった人々は違いました)。

ただ一つ言えるのは、ご本人は死にたくなるほど辛かったということ、そして大切な方を亡くした方々がいるということです。薄っぺらい言葉に聞こえてしまうかもしれませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。

「辞めればいい」と言う人は、追い詰められた経験がないのでしょう。辛さの渦中にいる時は、世界にはそこ以外にいくらでも場所があることが見えないんです。

宝塚に限らず、部活動でも学校でも会社でもどこでも、人が集まる場所(特に同性が多い場所)、そしてその場所が閉鎖的であればあるほど、中にいる人達は視野狭窄になる。中でも宝塚が特殊なのは、「全員が強烈な憧れを抱いて、熾烈な競争の末に入ってくる」ということだと思います。宝塚音楽学校を受験する人が通うスクールの映像を見たことがありますが、私にはちょっと異様に感じられました。若いうちから打ち込めるものがあるのは羨ましいし、レッスン漬けにならないとスタートラインに立つことすらできない厳しい世界なのだという認識はありますが。それでも視野を広く持てる人と、悪い意味で染まってしまう人との違いはどこにあるのでしょうね。会社でもそうですが、染まってしまった方がその業界で生きていくには楽なんだろうなと思います。でも、外に出ると、いかに自分がいた組織がおかしかったか気付くこともあります。

今舞台に立っている人、稽古中の人、お休み中の人、それぞれに葛藤や言いたくても言えないこと、言ってもどうにもならないことが山程あると思います。組織に属していると、最前線にいる人間がいくら言っても、上の人間の耳には届かないというのは決して珍しいことではありません。そうなった時に何を考えどの道を選ぶかは、各々が決めるしかありません。

一連の対応を見て、劇団や親会社の上層部に対しては、怒りや呆れ、憤りを通り越して怖さすら覚えました(自分がかつていた職場とそっくりだったこともあり。たしかに一般企業や学校は、従業員や児童生徒が自殺しても操業を止めることはありません。でも、エンタメは違う気がするのですが…)。

こんなことがあっても普段と変わらずチケットを販売し、新刊やテレビ出演情報を公開し、新作のスケジュールを発表する。

「買う人間がいるから売るんだろ? だったら買う人間も同罪だ」という意見をそこかしこで目にしましたが、否定はしません。でも、宝塚で明日への活力を得る人もいるんです。物事を一方的にしか見ないのは政治家の始まりです。

すでにウヤムヤになりつつありますが、劇団の対応に納得した人は一人でもいるのでしょうか。組織は頭から腐ります。歌劇はただの金儲けのためのセクションですか? 劇団員やスタッフはただのコマですか? この先も歴史を繋いでいきたいと思うなら、我が事として考えてください。

もし亡くなられた方が自分の娘だったら、同じ対応ができますか?

私は宝塚が好きです。
これからも観劇するつもりです。
でも、前のような純粋な気持ちでは観れないと思います。

自分でも矛盾していることはよく分かっていますが、長年にわたり宝塚から元気をもらったり、背中を押してもらったという事実を、なかったことにはできません。

これが私の思いの丈です。それぞれに思うことがあるかと思いますが、一意見として捉えていただければ幸いです。

観る側にとって、宝塚は虚構の世界。
しかし、演じる側、創る側にとっては、我々にとっての虚構の世界が現実の世界です。

現実の世界で自分たちが夢を見られない状況に置かれているのに、観客には夢を見せているのだとしたら、彼女たちが不憫でなりません。夢のランドのキャラクターたちも同じでしょう。

何をもって「伝統」と言うのでしょうか。

私は、本質を保ったまま、時代に合わせて(ただし、迎合ではない)柔軟に変わっていくことだと思います。それにより、世代や時代を越えて受け継がれるのではないでしょうか。

本記事には公演のネタバレを含みます。

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『RRR × TAKA”R”AZUKA ~√Bheem~(アールアールアール バイ タカラヅカ ~ルートビーム~)』について

あらすじ

1920年、イギリス植民地時代のインド。ゴーンド族の守護者、ビームは、圧政を敷くインド総督スコットによって連れ去られた幼い少女を救うため、立ち上がる。素性を隠しデリーへと潜入するビームだったが、少女の行方を追う中で出会ってしまったスコットの姪、ジェニーの美しく優しい姿に、恋をしてしまう。そんなビームに協力したのは、デリーで偶然出会った、強く内なる大義に燃える男、ラーマだった。二人はお互いの素性を知らぬまま、熱き友情を育んでいく。だがラーマの正体は、インド人でありながらビームを捕らえスコットへ引き渡そうと目論む警察官であった・・・。宿命に導かれた二人が進む先は、友情か?使命か?それとも愛か?

宝塚歌劇オフィシャルサイトより

主な配役

コムラム・ビーム:礼真琴
ゴードン族の守護者。連れ去られた少女を救出するため、「アクタル」と名前を偽りデリーに潜入する。

ジェニファー(ジェニー):舞空瞳
スコットの姪。偏見を持たない女性。

A・ラーマ・ラージュ:暁千星
イギリス警察所属のインド人。

スコット:輝咲玲央
インド総督。

ジェイク:極美慎
ジェニーの婚約者。

全体を通しての感想

オープニングの音楽は、機械がバグって音楽が高速再生されているかのような耳障り…と言っちゃいかん、カチャカチャした嫌な感じの音(「嫌」って言うとるがな)。劇中音楽も群舞も、インド料理店のテレビで流れているエンタメ(?)のような感じ。

・・・好きではない(意見には個人差があります)。タイトルの読み方も分からん。

とはいえ、原作は知らないけど、よくまとめられた作品だと思います。大まかなストーリー展開に引っ掛かりはありませんでした(あくまでも「大まかな流れ」についてのみ)。

でも、原作を観たいとは思わなかったな(苦笑)いやもうこれは完全に好みの問題だと思いますが、曲も独特だし、何と言うか、よく言えばエンターテイメント、悪く言えば…いや、やめときます(^o^;) なんせ私好みのテイストではありませんでした。

特にラストは、「それでええんかい!?」と、それまでの流れが一気に軽く思えるような幕引き。

きっと「それでいい」んですよね。あれがインド映画なんですよね、多分。あの豪快さというか、何でもオッケー!みたいなぶっ飛んだ(?)感じが。・・・ね?

劇場で観たら、客席下りもあるし、空気感とか熱量がダイレクトに伝わってくる分、感じ方も違っていたかもしれませんが。。

ただ、ダンスは見ごたえがありました。

千秋楽の挨拶で礼さんが「膝が取れるかと思いました」と言っていましたが、片方の足(膝下)だけあんなに動かすダンスがあるなんて・・・恐るべしインド。そしてそれを再現する礼さんと暁さん。

ダンスが終わって倒れ込むシーンは、役として、というより、本人としてなのかもしれません(^_^;) 普通の人がやったら、100%膝を壊します。それ以前に、あんなに早く足を動かすことすらできないと思いますが。。

それにしても、暁さん、変わりましたね。一皮むけたとかそういう感じじゃなく、覚悟を決めたというか、確固たる軸ができたというか。役がそういう役ではあるんだけど、役だからだけではなく、ご本人にもそういう想いが芽生えたのではないかと。それか、想いがいっそう強くなったか。

私は観劇歴10年以上になりますが、ここまで印象が変わった人は記憶にありません。最初に「ちょっと印象変わった?」と思ったのは『ダル・レークの恋』で悪役を演じた時。その後星組に組替えしてから、どんどん磨かれていっている気がします。

終始、礼さんと暁さんがメインの芝居だったので、観る前は「今作から星組に瀬央さんがいない。。(;_;)」と思っていたのですが、観劇中は気になりませんでした。

・・・芝居「では」!

『VIOLETOPIA』について

全体を通しての感想

瀬央さんがいない。。(ノД`)シクシク

私、個人的には芝居している瀬央さんの印象の方が強かったんですが、今になってショーで放っていた存在感の強さに気が付きました(遅っ)。それぐらいどちらも素敵ということです、うんうん。

『VIOLETOPIA』は、全体的にダークな雰囲気のするストーリー仕立てのショー。月組の『万華鏡百景色』もストーリー仕立てのショーと言われていましたが、星組はダンスで進行するストーリー、月組は芝居と歌で進行するストーリーと、少しジャンルが違います。

どちらにも共通するのは、「THE・宝塚」ではないこと。

公演解説に「演出家・指田珠子の宝塚大劇場デビュー作となります」と書いてあったので、過去に携わった作品を調べてみたら、雪組『海辺のストルーエンセ』を手掛けた方でした。

納得。

冒頭で「ダークな雰囲気」と書きましたが、それはきっと「退廃的」だったからなのだと思います。『海辺のストルーエンセ』をご覧になられた方は、「あーなるほど!」と思っていただけるかも?

良くも悪くも、「宝塚を観た」と思うショーではありません。観る側も演る側もちょっと消化不良な感じがあるかも。

ロケットガールの中に数人ロケットボーイが入るのはともかく、明らかに左右のロケットガールの方が身長が高いことにちょっとした違和感を覚えました(頭の飾りでそう見えただけ?いや、そんなことはないか…)。あと、終盤の大階段での男役の群舞。メタルグリーンのスタイリッシュなスーツに・・・全員マトリックス?(※サングラス姿が、映画『マトリックス』でキアヌ・リーブスが演じたネオのビジュアルを彷彿とさせるものだった(-_-;))

退団者の見せ場があったり、舞空さんが娘役には珍しいタキシード(?)姿で踊るシーンがあったり、素敵だなと思う場面もあったものの、やっぱりちょっと・・・消化不良気味(私は)。

こだわりが強いのは、エンターテイメントや芸術に関わる人は皆そうでしょう。いろいろなタイプの演出家がいて、それぞれに得意分野があって、補い合ったり相乗効果が生まれたりして、良いものや新しいものができるならいいと思うけれど、劇団に今一番必要なのは、外部の風じゃないでしょうか。

「その世界を分かっている人」というのは、必ずしもプラスの影響だけをもたらすものではないと思います。

でも、宙組『シャーロック・ホームズ』のレポでも書きましたが、自分たちで真っ白な状態から作品を作れない劇団(=専属の脚本家や演出家がいない)は、メーカーなのに自社で商品開発ができないみたいなものだから、長い目で見たら危ないのもまた事実だと思うし、外部の人ばかりになったら、良い意味でのいわゆる「宝塚らしさ」がなくなるかもしれないし・・・塩梅が難しいですね。

って、ただの一ファンがこんなにいろいろと考えを巡らせてるのに、権力者には届きませんかね(-_-)

星組の皆さん、スタッフの皆さん、ひとまず大劇場公演終了、お疲れ様でした!
演出変更への対応など、東京公演までにやらないといけないこともいろいろとあると思いますが、しばしの休息が取れますように(><)

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