~今こそ、世界に求む~宝塚星組公演『王家に捧ぐ歌』(2022/2/26@楽天TV)【観劇レポ/感想】

宝塚

こんにちは、しろこです。

この作品が上演されることが決まったときは、上演期間中に戦争が始まるなどとは誰も予想だにしていなかったことでしょう。

純粋にひとつの作品として見るなら、やはり稽古不足は否めませんでした。
ポスターを見たときから「ん??」と思っていた衣装やメイクも、やはり違和感ありまくり。

それでも、今作が普遍の真理をつく大作であることに変わりはありません。

本記事には若干のネタバレを含みます。

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あらすじ

幾度となく戦を繰り返すエジプトとエチオピア。エジプトの若き将軍ラダメスは、自分が軍を率いてエチオピアに勝利したあかつきには、エチオピア人を解放することを心に期していた。エジプトの捕虜となったエチオピア王女のアイーダを密かに愛し、両国の和平を願っていたのである。アイーダもまた、ラダメスに心惹かれていた。ファラオの娘で同じくラダメスを愛するアムネリスは、2人の様子を見抜き、王女のプライドとアイーダへの嫉妬との間で揺れ動く。ラダメスが率いたエジプト軍は大勝を収め、アイーダの父であるエチオピア王アモナスロは囚えられエジプトへ。戦勝の褒美として王族以外のエチオピア人の解放を申し出たラダメスの願いをファラオは聞き届ける。訪れた平和を人々は享受するが、浮かれる人々を軽蔑に似た目で見る者たちもいる。『これが平和だ』そうラダメスは言い、エジプトでもエチオピアでもない国でアイーダと暮らすことを決意する。ラダメスの想いを受け入れたアイーダであったが、その直後、捕虜となり正気を失ったと思われていたアモナスロからファラオの暗殺計画を聞かされる。愛する人と共に在りたい。はたしてそれは、自分勝手な願いなのであろうか。人は戦いをやめることはできない。はたしてそれは、人の性なのか…。

主な配役

ラダメス:礼真琴
エジプトの若き将軍。

アイーダ:舞空瞳
エチオピアの王女。エジプトの虜囚。

アムネリス:有沙瞳
エジプト王女。ファラオの娘。

ファラオ:悠真倫
エジプト王。

アモナスロ:輝咲玲央
エチオピア王。アイーダの父。

ウバルド:極美慎
アイーダの兄。ファラオ暗殺計画の実行役。

ケペル:天華えま
ラダメスの戦友。

メレルカ:天飛華音
ラダメスの戦友。

カマンテ:ひろ香祐
エチオピア王家の元家臣。

サウフェ:碧海さりお
エチオピア王家の元家臣。

全体を通しての感想

幕が開いてしばらくは、

「違う、これは『王家に捧ぐ歌』じゃない…」

という感想に終始。

なんでしょうね、この感じ。2018年の月組『エリザベート』を観たときも思ったんですけど、、、違うの。何が違うって、なんか違うの。。

大作だから、観る前から期待値がめちゃくちゃ高いというのもあると思うんですけど。。

今回に関して言えば、違和感の一番の要因は衣装だと思います。ポスターを見たときから、「これが『王家に捧ぐ歌』!?」と嫌な予感はしていました。観劇後に公式サイトを見たら、作品紹介でわざわざ『ビジュアルを一新』なんて書いてたわ(^o^;)

2021年の星組『ロミオとジュリエット』もだったけど、衣装やセットは刷新すりゃいいってもんじゃないと思うんです。。

特に今回の『王家に捧ぐ歌』の衣装は、初演時や再演時にあった重厚感の欠片もない。

これまでは、エジプトのカラーは金(金ピカ)、エチオピアのカラーは黒でした。それが今回は、エジプトのカラーが白になり、金の衣装はひとつも無し(だったと思う)。

でも台詞はそのまま。

捕虜としてエジプトに連れてこられ、王族の前に引き出されたエチオピア兵の台詞

『光ってやがる…』

浮いてたのなんのって。だって物理的にどこも光ってないんだもん。

この台詞を残すなら、せめてファラオとアムネリスだけでも金を基調とした衣装で良かったんじゃ…。

それはそうと、なんで白にしたんでしょう。

エチオピアが黒だから、『ロミオとジュリエット』のモンタギュー家(青)とキャピュレット家(赤)みたいな分かりやすい対比を狙ったのか、現代風のスタイリッシュな感じにしたかったのか、金だといかにもエジプトという感じだから、あえてエジプト感をなくして話の内容に普遍性を持たせたかったのか。

どれもあり得るような気がしますが、まったく別の理由かもしれない(←どないやねん)。
「普遍性を持たせたかった?」はないかもしれませんね。だって、話の大前提がエジプトとエチオピアだもん。作品の中で何回も言っちゃってるもん。今さらエジプトのカラーを白にしてもねぇ(←なんて、これが理由だったらどうすんだよ(_ _;))。

で、そのエジプト兵の衣装が、色だけじゃなく見た目も「おいおい…」という感じ。

見た目、スカジャン。

特にラダメスの衣装は、背中に刺繍が入っているから余計そう見える。ラダメスが長髪(結んでいない)だから、せっかくの刺繍も中途半端にしか見えないし。

前半でラダメスとエチオピア兵が戦うシーンなんて、どう見たって白い特攻服を着た、長い髪を金色に染め上げたヤンキーのケンカですよ。軽くて動きやすそうな衣装ではあるけど(これまでの衣装は、動くとカチャカチャ鳴りそうな感じだった。花組『アウグストゥス』で瀬戸かずやさんが演じたアントニウスの終盤の衣装のような)。

かたや、エチオピア人の衣装はやたらスタイリッシュ。幕開きのウバルド、眉目秀麗な極美さんが演じているからというのを差し引いても、かっこ良すぎ。。

アモナスロは、どこの錬金術師やねんという感じ。雪組『ルパン三世』で望海風斗さんが演じたカリオストロ伯爵かと思った。敵にやられるより、暑さにやられると思う(意見には個人差があります)。

と、衣装が気になりすぎて、なかなか話に入り込めず。いつもライブ配信を観るときは、劇場で観劇しているときと同様、一切の飲食はしないんだけど、どーにも入り込めなくてお茶飲んだわ(苦笑)

あとは、稽古不足が露呈してましたね。ミスではなく、みんな地に足がついていない感じとでも言いますか。

大劇場公演でも公演期間の最初の方に行くと、役が文字通り『板についていない』状態のこともあります。でも、実際に劇場で観劇するとそれもアリだと思うの。それもひっくるめて生の舞台を観ているという感じがして。それが配信で観ると、こなれていない(という表現が正しいのかは分からないけど)のは違和感でしかない。

状況を考えると致し方ないことだと思うし、みんな一生懸命なのは痛いほど伝わってきましたけどね。うん、みんな頑張ってる。それでも幕が開いて嬉しいし。

それになにより、これだけの大作をいつもの半分のメンバーで外箱で演るのは無理があると思います。大劇場で演ればいいじゃないのよ!

と、違和感を覚えまくっていた私。

そんな私の胸ぐらをつかんで芝居の世界に引きずり込んでくれたのは、2幕の狂ったアモナスロ。

演じているのは『マノン』で初めて認識した輝咲玲央さん

『マノン』では容姿端麗なフェルナンドを、次の『柳生忍法帖』では愚の骨頂のような会津藩主・加藤明成を演じていました。

この2つもかなりかけ離れた役でしたが、アモナスロはこのどちらとも全くタイプの違う役。初演時・再演時は専科の名優・一樹千尋さんが演じていた役を、輝咲さん、見事にモノにされていました!

台詞回しや目の表情にゾクッ。狂っていると見せかけているところから、正気の顔をのぞかせ、正気に戻る、という変化が上手い!!時間にすると多分10秒あるかないかぐらいなんですけど、やられたわぁ。。

このアモナスロ、終盤で本当に狂います。ファラオを暗殺したことでエジプトがエチオピアに総攻撃を仕掛け、滅び去った祖国と死に絶えた民を目にしたときに。

『狂った演技の演技』と『狂った演技』は違う。

あの一樹さんが演じていた役を演るのはプレッシャーもあったかと思いますが、輝咲さんの当たり役になったのではないでしょうか。

ーーーーーーーーーー

勝利に浮かれるエジプト人たちが歌う。

『欲しい物はお金があれば全て手に入る』

資源があれば、軍事力があれば、核があれば、欲しい物は全て手に入るのか?いや、力に物を言わせ、力ずくで奪い取るのか?

戦いを続けようとするアムネリスにラダメスは言う。

『目の前の問題をすり替えようと戦っているのではないか』

対し、アムネリスは答える。

『平和な世界では人は金と権力を得ようとする』

平和を享受する人々を尻目にメレルカは言う。

『戦争のことなんてすぐに忘れる。そのうち俺たち(戦士)がいたから戦争が起こったとまで言うようになるさ』

2時間半の芝居の中から、個人的に印象に残った台詞を一部ご紹介しました(言い回しが正確でないものもあるかもしれません)。

この作品を観たことがある方は、全部でなくとも「あったあった」と思ってくださるでしょう。

実体験として観たから、本当にそう思うのです。

センセーショナルな言葉や映像は、時に独り歩きします。

今の社会では、国境を超えてあっという間に拡散されます。

それが事実を中立の立場でそのまま伝えているのか、誇張しているのか、歪曲しているのか、判断がつくでしょうか。

自分が触れている情報にフェイクが無いと言い切れるでしょうか。

切り取られるのは、数多ある事象の中の一部に過ぎません。その周囲には何があるでしょうか。

ただ、一つだけ言えることがあります。それは、時代も国も問わず、戦争の犠牲になるのはいつも一般市民であるということです。

アイーダは言う。

『人は自分のためになることしか決してしない』

この言葉を文字通りの狭義で捉えるなら、たいていのことは対岸の火事である。

しかし、広義で捉えることができるなら、全てのことはどんな形であれ必ずどこかで繋がっているのだと想像できるなら、人間もまだまだ捨てたものではないはずだ。

偶然とはいえ、今この作品を上演したことで、観た人の心には何かしらの想いが芽生えたかもしれない。

綺麗事だ、絵空事だ、と一笑に付すだろうか。

『祈りはやがて世界を変える力となる』を信じてみようと思うだろうか。

国があるところに指導者がいて、その下に人々がいるのではない。

人々がいるところに国ができ、便宜上指導的な立場の人間が必要なだけである。

最後に、『王家に捧ぐ歌』を代表する2曲の歌詞をご紹介します。

今こそ、ここに歌われている姿勢を、世界の指導者たちに求めます。

『アイーダの信念』

異国に囚われ
祖国の人々に疎まれ
それでも私は 嘘はつけない

誰かが言った
神は愛なのだと
愛ゆえ人は戦うと

私は答える
騙されはしないと
そんな言葉は ごまかしと

誰がどう言おうと
私は嘘はつけない
ひたすら この真実を
世界に向けて 叫び続ける

戦いは新たな戦いを生むだけ

『世界に求む』

この世に平和を
この地上に輝きを
人みな 溢れる太陽を浴び
微笑んで暮らせるように

戦いに終わりを
この地上に喜びを
人みな 等しく認め合って
お互いを許せるように

たとえ今は
夢のように思えても
この身を捧げて
そんな世界を いつかきっと

祈ろう 明日を
この地上にこそ 希望を
人みな 時代から時代へと
誇らしく語れるように

そんな世界を 私は求めてゆく

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