~テンション高めの感想から真面目な話まで~宝塚月組公演『ダル・レークの恋』(2021/2/27@楽天TV)【観劇レポ/感想】

宝塚レポ

本記事には公演のネタバレを含みます。

※本記事には広告が含まれています。

『TAKARAZUKAカフェブレイク』で司会の中井美穂さんが、「あのダル・レークを演る」みたいな言い方をされていて、とても気になっていました。

しかも主演は月城かなとさん!そして相手役は海乃美月さん

公演ポスターを見て「(衣装が)ターバンかぁ。。。」と思ったものの、この2人が組むならクオリティの高い芝居になること間違いなし!

いつもライブ配信を観るときは前日になってポチッ(視聴権購入)としていましたが、今回は早めに購入。

ところがどっこい(古っ)、当日の昼過ぎに外での用事が入った(;´Д`)大汗。

用事はほぼ時間通りに終わってまっすぐ帰宅。
無事、開演時間に間に合いました(ホッ)。
(やっぱりこれからも前日購入にしようと思います・・・)

こんにちは。しろこです。

あのダル・レーク」と言われても、私にとっては初めて聞いた演目。

初演は1959年だそうです。
なんと60年以上前(@_@;)
そりゃ知らないはずですわ。
(1997年と2007年に再演されたようですが、その頃はまだ宝塚ファンではなかったの^^;)

舞台がインドというのも私の中では新鮮(だから衣装がターバン)。

「なんだかなぁ・・・」と思う部分もありましたが(これについては後述します)、月城さんと海乃さんが醸し出す『品』を堪能しました。

お似合い!
なのに結ばれないなんて(><)

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参考情報

あらすじ

舞台はインド・カシミールのダル湖。夏になると王族らが避暑に訪れる場所である。ベナレス領主の孫娘カマラ・チャンドラ・クマールはそこで騎兵大尉ラッチマンと出会い、愛し合うようになる。自分は農民出身だと言うラッチマン。厳格な階級制度が存在するインドにおいて、身分違いの恋は決して認められるものではない。王族としての名誉を何より重視する祖母インディラや従兄弟クリスナ・アルマ夫妻の忠告により、カマラはラッチマンに心ならずも別れを告げる。同じ頃、ヨーロッパで詐欺などを働いた前科12犯の犯罪者ラジエンドラがカシミールに滞在しており、ラッチマンがラジエンドラではないかとの疑いの目が向けられているという。クマール一族に呼び出されたラッチマンは自分がラジエンドラだと認める。ラッチマンが逮捕されればカマラとの関係が白日の下に晒され一族の名誉が傷つくと恐れたインディラは、ラッチマンに交換条件を持ちかける。ラッチマンは明確な発言を避け、「私はカマラを愛しています。それだけ言えばお分かりでしょう」とだけ言い残しその場を去る。インディラたちは『一族の名誉のため』と表面上はカマラに全てを委ねるが、事実上カマラに拒否権はなかった。一方、パリ滞在中であったカマラの祖父チャンドラが、カマラの妹リタを連れてインド・ハイダラバードに戻ってくる。リタは、パリで知り合った恋人ペペルを密かに伴っていた。ペペルとの交際を反対していたチャンドラだが、愛しい孫娘のリタに冷たくされ2人の交際をしぶしぶ認める。その頃ラッチマンは、カシミールからハイダラバードへと戻っていた。チャンドラはかつてパリで助けられて以来、信頼していたラッチマンにペペルのことを相談する。ラッチマンには、ペペルという名に心当たりがあった。ダル湖でのことなど知る由もないチャンドラは、ハイダラバードに戻ってきたカマラたちにラッチマンを紹介する。

主な配役

ラッチマン:月城かなと
騎兵大尉。農民出身だと言うが・・・

カマラ・チャンドラ・クマール:海乃美月
王族。ベナレス領主の孫娘

インディラ:梨花ますみ
カマラの祖母

クリスナ:風間柚乃
カマラの従兄弟

アルマ:夏月都
クリスナの妻

チャンドラ:千海華蘭
ベナレスの領主、マハ・ラジア。カマラの祖父

ペペル:暁千星
前科12犯の犯罪者

ハリラム:蓮つかさ
ラッチマンの父

感想

よかったところ

幕開きは劇中レビュー。
インドが舞台ということもあり、衣装や振り付けが洋物メインのいつものレビューと違って新鮮でした。

芝居の衣装もそうですが、刺繍が細かい。それでいて豪華!

宝塚歌劇の殿堂やGコレクション(阪急宝塚駅前の商業施設)で、何度か実物の衣装を間近で見たことがあります。
一番驚くのはその細さ(ほんっと細いの!)。次に目が行くのは刺繍!

大きな劇場の広い舞台で使う衣装に、ここまでの緻密さがいるの?と思う人もいるんじゃないかと思うくらいの細かさ。妥協なき職人技といった感じです。
『美は細部に宿る』ってこういうことなんだろうな。。

レビューの終盤で待ちに待った月城かなとさんの登場。
佇まいだけで気品が漂いまくってます。
農民出身だと言ったところで・・・なわけないわよねぇ(笑)

カマラに詰め寄っているとき(現代の感覚では犯罪)でさえ、気品を失うことがない。

佇まいで既に素敵なのはもちろん、目線やちょっとした顔の傾け方など、細かい仕草(?)がとてもお上手。『ピガール狂騒曲』でも書きましたが、彼(彼女)の翳りを帯びた繊細な表情はたまらない。

表面に現れているもの(セリフだったり態度だったり)から、心の内が垣間見える演技はしろこの大好物です(←変態)。

ずっとターバン姿だったので(まだ言うか)、2幕の前半、パリでのシーンで洋装姿を堪能できたのが嬉しかった(笑)

今回もいつものごとく予備知識なしで観劇。
なので、悲恋物だと知りませんでした!

わりとお決まりの展開で進んでいったのに、ラストが・・・結ばれない!切ない!

男の矜持、でしょうか・・・。
カマラの幸せを願って、という感じでもないし、観る人によっていろいろな解釈ができそうな別れでした。

NICE WORK IF YOU CAN GET IT』や『はいからさんが通る』のような、分かりやすくて心温まる作品にはその良さがあります。

反対に、今回のようにその後の判断を観客に委ねる作品(舞台も映画も本も)にもその良さがあります。

後者も大好きな人間としては、本作のラストシーンは嬉しい意表のつかれ方でした(←やっぱり変態)。

報われないラストシーンの1本物でも、宝塚は最後に10分くらいショーがつくのがいいですね。それで元気が出る^^

終演後の挨拶。
挨拶までもがセリフのような方もいる一方、月城さんは完全に「素」の喋りでした(笑)
つい数分前まで誇り高くて実直な男性を演じていたのに、ギャップがすごい(〃°ω°〃)

続いては海乃美月さん。
初めて認識したのは、『明日への指針』(2014年月組)でトップ娘役・愛希れいかさん演じるレイラの、幼くして海難事故で亡くなった妹(姉だったかも…)を演じていたとき。
そのときは子供の役でしたが、今はもっぱら大人の女性が似合う印象。

その頃からいい起用のされ方をしていたので、すぐトップ娘役になるのかと思っていたら、いつも間にか10年目なんですね。。

下級生の頃から芝居が上手い。
歌も悪くない。
なのになぜでしょう。

月城さんとは大人っぽい顔立ち(大人に対して使う表現ではないか(-_-;))と雰囲気でとてもお似合いだと思うのです。

雪組の次期トップ娘役・朝月希和さんも10年目だし、経験を積んだ落ち着いたトップ娘役で観たいなぁ。観たいなぁ。。

おっと、前振りが長くなってしまいました(^o^;

元々細い(みんな細いけど)方ですが、今回は黒塗りだったのでますます細く見えました。
登場した瞬間から「あ、王族の娘だ」と思わせる、こちらも気品が漂いまくり。

王族の名誉と一人の女性としての純粋な恋心との間で揺れ動く、一種の危うさや心の機微を繊細に表現されていました。ラッチマンの交換条件に応じて、ダル湖の湖畔~船内でのラブシーンは観ていて照れましたね(*ノェノ)キャー。

キスシーンはよくあるけど、宝塚にこういうラブシーンあるんだ・・・とちょっとびっくりΣ(゜゜)エエッ!!。

ラッチマンの本当の姿と自分の本当の心を知ってのラストシーン。
若い娘がはっきりと自分の意志を持った女性になったのが感じられました。

暁千星さんは男役だけど可愛らしい顔立ちなので、悪役(退場シーンを見る限り、根っからの悪人ではなさそう)ってどうかなぁ。。と思ったものの、ちゃんと悪かったです(^m^)。
女性陣をたぶらかすときは色気出しまくり、2幕で恫喝するシーンはドスの利いた声だったし、自分がラジエンドラだと認めたときの開き直り方にはムカつきました(笑)
ダンスの上手さは言わずもがな、歌声も低くなって、着実に男役10年に向かっているようです。

カマラの祖母インディラ役の専科の梨花ますみさん、従兄弟の妻アルマ役の月組副組長の夏月都さんはベテランの味。

梨花さんのインディラは、口では一族の名誉のためと言っていますが、どこかでカマラの恋を応援したいと思っているような雰囲気が感じられて、この人も心の中で揺れ動くものがあるんだろうなと思いました(でもカマラをラッチマンに差し出すんだけど・・・)。

夏月さんのアルマは、完全に夫クリスナを尻に敷いてますね、あれは(笑)
ラッチマンが貴族だと知ったときの手のひらの返しようったらもう。「お前が一番ラッチマンとの交際を反対しとったやないかい!ぼろっかすに言うとったやないかい!」と突っ込まずにはいられません。

クリスナ役は風間柚乃さん
まだ下級生といわれる7年目なのに、あの地に足のついた王族感は何なんでしょう。
前述した妻(アルマ)が頼りない旦那(クリスナ)を尻に敷いている雰囲気ではありません。
ドシッと構えるクリスナの上をアルマがいっているだけです(笑)

カマラの祖父チャンドラ役の千海華蘭さんとラッチマンの父ハリラム役の蓮つかささん

ハリラムが登場するのは2幕から(1幕で蓮さんは違う役をしています)。
そのハリラムが初めて登場したシーンで、「ん、チャンドラ?カマラとラッチマンは本当はどういう関係?」と思ってしまった(苦笑)
ファンの方からしたら「全然違うわ!」ですよね、すみません。。(;´∀`)
2人とも、威厳のある王族感のない王族のおっちゃんで、いい味出してました。

NICE WORK~』同様、本作でも下級生の男役が男役になれていない印象でした。声高い(笑)
ただ立ってるだけでも全然違うものですね。
(いや、ただ立ってるだけだから違いが際立つのかな。小手先の技が通用しないから)

上級生の男役は、根が生えてるような安定感のある立ち方。
かたや下級生は、浮いてるとでも言いますか、変な言い方だけど、床との接地面の粘着力が違う感じがする(そう思うと、やっぱり風間さんは抜きん出てるんでしょう^^)。

なんだかなぁ…(-_-)と思ったところと、そこから派生しての真面目な話(演出を変えることの弊害について考えてみる)

憲兵隊の2人の浮ついた感じがひたすら鼻につく。
演じている人がどうこうではなく、キャラ設定がおかしい。

おちゃらけた役は、芝居の潤滑油や箸休めのような存在になることがよくある。
でも今回の場合、憲兵隊の2人を滑稽なキャラにする意味がわからない。

筋を通したラッチマンとの対比のつもり?

これまでの演出ではどういう立ち位置・キャラだったのか不明ですが、狙ってあんなキャラにしたなら、完全に失敗だと思います。

これまでの演出といえば・・・(ここからとても真面目な話になります)

ファン歴の長い方のブログを拝見すると、『むかし上演されたものを今やると、演出やセリフを時代が許さない』と書いていらっしゃいました。それはそれで、あえて観てみたい。。

一族の名誉のために、うら若き乙女を男の元へ行かせる(それも直接命じるのではなく、あくまでもお前に任せるという体で)シーンは、現代に生きる日本人の感覚からすると「なに血迷ってんねん、ババア!」だけど(意見には個人差があります)、背景に厳格な階級制度があることを考慮するとわりとあることなのかもしれません。

※この↓記事で紹介した本『ガンジス河でバタフライ』には、旅人の目から見たインドの衝撃的な階級制度についても記載されています。

時代に合うように演出を変えることについては、必要な場合とそうでない場合があると私は思います。

たとえば昔の映画を見ると、最初か最後に「制作当時の時代背景を尊重し、放送当時のまま放映します」と注釈が出ることがありますよね。
お断りしておかないと、クレームをつける輩がいるんでしょう。

映画に限らず、漫画やアニメでもそうです。
私が子供の頃(2~30年前)は、高校生がタバコを吸ったりお酒を飲んでいるシーンは普通に描かれていました。今だってそんな高校生はごまんといるだろうに、そんなシーンを目にすることはいつの間にかなくなったように思います。

そのうち、『風と共に去りぬ』に対して「メイドが黒人なんて人種差別だ、けしからん!」とのクレームがつくとか、『ローマの休日』でアン王女がスペイン広場でジェラートを食べるシーンがカットされたりするのでしょうかね。

ビートルズのメンバーがアビーロードの横断歩道を一列で渡ってるジャケット写真(下記参照)も、歩きタバコだと言ってアメリカ版では彼らの手からタバコが消されています。信じられません。

今の時代にはそぐわなくても、当時はそうだったという事実をなかったことにするのは違うんじゃないでしょうか。

見たくないもの・見せたくないものに蓋をしていいのでしょうか。

文化芸術を発信する側には、クレーム(というか、ただの言いがかり)に対してめんどうくさいからと安易に迎合するのではなく、毅然とした態度で立ち向かってほしいと思います。

・・・と、『ダル・レークの恋』の純粋な観劇レポのはずが、いつもの癖でまたそこからいろいろと考えてしまいました(^_^;)

初演をご覧になったことがある方、ぜひどんな内容だったか教えてください(笑)

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